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眼が覚める。頭がクラクラする。 周りを確認。ベッドの上で寝ている。ベージュの壁紙の部屋。白いカーテンで仕切られている。 横の机に置かれた、丸い時計を見る。今は午後の3時といったところ。 上半身を起こす。青い、入院患者用の服を着ているようだ。 記憶を辿る。そうか、あの時俺は胸に走った激痛で…。 一人で考え事をしていると、カーテンが開く。 カルテを持った医者が一人たたずんでいる。男性で、おそらく30代前半。 肩幅は広く、肌は黒い。白衣を着てなければラグビーの選手と間違われそうな体つきだ。 「気分は?」 思ったとおりの低い渋い声で訊いてくる。 俺は右手を握り、力を抜く。左手を握り、力を抜く。首を回す。 「いえ、特に何も。」 彼は少し安堵したようだ。俺は言い知れない不安に駆られる。冷静さを装って、質問する。 「先生、俺は何かの病気なんですか?」 カルテを見ていた彼は、俺のほうを見る。 眼が笑う。彼は低い、しかし優しい声で答える。 「キミは健康体そのものだ。倒れた理由は、過呼吸だな。」 我が耳を疑った。眼を疑った。彼の表情は、真剣そのものだった。 少し無言の空気が流れる。俺は唾を飲み込み、訊く。 「過呼吸、って、激しい運動の時にたまに起こる、アレですか?」 彼は大きく頷く。声の調子を変えず、答える。 「そうだ。しかし、運動以外にも起きるんだ。」 俺は首をかしげる。彼は詳細を説明してくれる。 「落ち着こうと深呼吸をするとき、大きく、深く呼吸するね?」 そのとおりだ。俺は小さく頷く。 「つまり、『大きく深い呼吸』は、落ち着いた時、すなわちストレスのない状態の呼吸なんだ。」 彼はゆっくり、はっきりとした口調で喋る。 「逆に、『小さく浅い呼吸』は、ストレス過敏の状態の呼吸。」 ベッドの横にある椅子に腰掛け、話を続ける。 「キミは、ストレスと疲労が溜まりすぎて小さく浅い呼吸が更に酷くなり、過呼吸になったんだ。」 ストレスと、疲労。思い当たる節はたくさんありすぎて困る。 「そして、『不安』もストレスとなる。…藁人形の件が止めを刺したのだろう。」 確かに、女子が藁人形で呪った、と聞いてから胸が痛くなった。 だが疑問は残る。俺は隠さず、医者に尋ねる。 「でも、何故『左胸だけ』が痛くなったんですか?過呼吸なら、『胸全体』が痛むはずでは?」 彼は首を振る。俺を見据え、声調を変えず答える。 「それは我々医者にも分からない。だが、精神と身体はシンクロしているんだ。」 ふぅ、と息をつく医者。 「キミは『左胸が呪いの対象となった』と意識した。それが身体に伝わったのだろう。」 低い声が響く。後ろに居た、誰かに対しても聞こえていた。 カーテンの後ろから見慣れた者が姿を現した。医者は後ろを振り向き、笑いながら言う。 「そろそろ、私は退室しよう。邪魔をしたくはないからな。」 俺に笑いかけ、カーテンの奥に居る人にも笑いかけ、病室から出て行った。 バタン、とドアが閉まった音が聞こえる。奥の人は、ゆっくりと入ってくる。 「…玲、か。」 俺は顔を伏せて入ってきた玲を見据える。 手には花束と、小さい紙袋。玲は花束をベッドの横にある机に置く。 椅子に座る。顔は伏せたまま、ずっと黙ったまま。 無言。恐らく、さっきの医者の話を聞いていたのだろう。 玲の握った手に力が入る。わなわなと震えている。肩も震え始めてしまった。 「玲、俺を見ろ。」 出来るだけ、優しい声で言う。微笑しながら。 玲は顔を上げる。いつもの無表情。違うところは、眼が潤んでいることぐらい。 「俺は大丈夫だ。そんな顔、お前らしくないぞ?いつものお前でいいんだよ。」 撫でるような声で言う。少し玲に近づく。手を少し広げてみる。 そこで堰が切れたのか、玲は俺の胸に飛び込んできた。 俺の胸で号泣する玲。俺はそんな玲の頭をゆっくり、優しく撫でる。 カーテンの奥から、クラスメイトの大群が入ってきた。冷や汗が流れる。 その中の一人が空気を呼んで、部屋から出るよう先導。非常にありがたい。 10数分経ったころ。玲はやっと落ち着きを取り戻す。 俺から離れ、椅子に座る。そのか弱い手が動く。 −毎回、謝ってばかりだね、私。ごめん。− 黙って見つめる。感情は吐き出させるのが一番だ、と考えたから。 −辛かった、よね。ずっと、我慢してたんだね。− 玲は手を動かし続ける。ゆっくりと、はっきりと。 −我慢しなくていいよ。イヤなら、言って。− 手の動きが少し鈍る。俺は笑顔で激励する。玲は少し頷き、玲は手で涙をぬぐい、続ける。 −思いを伝えるだけって、ダメなんだって、分かったから。伝えられるのも、必要だって、分かったから。− 無表情から、かすかに笑顔に。俺の顔は発火寸前だ。 二人きりの病室。誰も、入ってこない。入っていても、気付かないかもしれない。それでも玲は続ける。 −でも、今は伝えたい。大好き。− 玲は俺へ密着する。俺はまた、玲の頭を撫でる。 安らぎの表情を浮かべ、胸にうずまる玲。暖かい。久しぶりに感じたような、ぬくもり。 ずっと、足りなかったもの。心を貫く鉄の棘でさえ融かす、小さい、それでいて無尽蔵な熱。 陽が落ちるまで、そのままでいた。絶対に倒れはしない。夕闇の病室で、そのか細い手にそう誓った。
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