毎日、放課後に音楽室でピアノを弾いている女の子。 僕は音楽室の横を通る。奥に僕が所属している演劇部の部室がある。 彼女はよくクラシックを弾いていた。たまに、声を出して歌っていた。 綺麗な声だった。僕は、足を止め、聴き入ることがあった。 彼女を学校生活で見たことはなかった。上履きの色は、僕達の学年なのに。 それどころか、放課後のピアノの音を聴いた人すら居ないらしい。どういうことだろう? ある日、僕はまた通りかかった。いつものように、女の子はピアノを弾いていた。 髪は長く、座った時の腰のあたりまで伸びていた。黒く、つややかな髪。 肌は白く―というより、「青白い」に近い―、黒く大きな瞳が印象的だった。 彼女は振り向いた。僕は一瞬、身体をこわばらせた。密かに聴いていたのが、癇に障ったのだろうか? 表情は、無かった。無表情のまま、彼女は僕を見ていた。そして、かすかに微笑んだ。 それから、毎日僕と彼女は言葉のないコミュニケーションをした。 ドアを一枚隔てた、距離は無いようである、交流。聞こえるのは、ピアノの音だけ。 彼女は、僕を見ると決まってある音楽をピアノで弾いた。 「運命」。ベートーベンの、あの「運命」だ。それが何を意味するのか、僕には分からなかった。 でも、とても綺麗な音だった。そして、何か物悲しそうな音だった。 次の日、僕はまた音楽室の横を通りかかった。 相変わらず、彼女はピアノを弾いていた。僕は相手が気付くまで、ずっと立っていた。 一曲弾き終えた彼女は、僕の方を見た。そして、おもむろに、手招きをした。 僕は何か、言い知れない胸騒ぎを感じた。でも、手はドアに伸びていった。 『話すのは、初めてですね。』 彼女は僕に話しかけた。でも、ちょっとエコーがかかっているような気がする。 椅子に座って、無表情なままの彼女。僕は、相槌を打つしかなかった。 「そうですね。」 いたたまれなくなって、僕はピアノのすぐ傍にある椅子に座った。 彼女は僕の方に向き直って、ピアノの鍵盤に手を置きながら言った。 『私の演奏は、どうでした?』 彼女の言葉に、僕はすぐに思ったままを言った。 「凄かったですよ。とても、綺麗な感じです。」 素人丸出しの感想。でも、彼女はその言葉を素直に受け容れたようだ。 彼女はピアノを向いて、再び鍵盤を叩いた。「運命」だ。 流麗な手つきで弾きながら、彼女はつぶやいた。 『「運命」ですよ。』 彼女の声は、ピアノの音にかき消されること無く、響いた。僕の、頭に直接響いているような感じを受けた。 僕は座って、黙って訊いていた。彼女の声と、ピアノの音は、両方とも素晴らしかった。 『私と、君とが出会ったのは、「運命」だと思います。』 視線を彼女に向けた。彼女はこちらを見ずに、ずっとピアノを弾いている。 そのまま、彼女は黙った。段々と、演奏も終わりに近づいてくる。 『でも、私は、』 つぶやいたと思うと、すぐに言葉は止まった。彼女の細い指は、まだ鍵盤を叩いていた。 僕は胸騒ぎが強くなるのを感じた。演奏が、終わった。 彼女はピアノの前の椅子から立ち上がった。 そして、僕は見た。彼女の脚が、足先にいくにつれ、うっすらと消えているのを。 僕は、彼女の顔を見た。無表情。でも、どこか悲しげ。そして、かすかに向こうの壁が透けて見えた。 『こういう、存在ですから。』 彼女は、僕に近づいてきた。僕は、何もしなかった。 今までの、不自然なことが全て一本でつながった。 同じ色の上履きなのに、見たことがないこと。誰も聞こえないピアノの音。脳に響くような声。 彼女は、僕の目の前まで来た。そして、僕の肩に触れようとした。まじまじと見る僕。 でも、すり抜ける。細い彼女の腕は、あっさりと、僕の身体を貫通した。 『嬉しかった。』 僕は彼女の顔を見た。無表情に変わりは無いが、眼の力が違った。 彼女は、僕を貫いている手を抜いた。そして、僕の前で直立不動になった。 『私の、ピアノ、声を聞いてくれて、姿を見てくれる人が居たことが。』 彼女の意図が理解できた。なぜ僕を見ると「運命」を弾いていたかが。 僕は立ち上がった。彼女は、僕が何をするのか想像がついていないらしく、きょとんとしていた。 歩き、彼女の前に立った。僕は、そのまま彼女を抱きしめる。 少しすり抜けた。彼女の身体より、腕が囲む空間は小さくなり、腕は彼女の身体に沈んだ。 「寂しかったんだね。でも、これからは僕が居るから。」 彼女は、透ける腕で僕を抱きしめ返した。彼女の腕が、僕の身体に沈んだ。 そのまま、時が流れた。数分間では有るが、長く、長く感じた。 腕を彼女から離す。彼女もそれに気付いて、僕から腕を離す。 僕は再び椅子に座る。彼女も、ピアノの前の椅子に座る。 『こんな存在になっても、変わらないものがあるなんて。』 突然彼女は呟いた。僕は頭に疑問符を浮かべた。 彼女は、はっきりと分かるように微笑んだ。そして、告げた。 『恋や、愛の類。私は気付いたよ。君が好きです。』 その言葉から、僕の非日常の幕が上がった。
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