放課後、数人しか居ない教室。斜陽が窓から差し込んでいた。 俺の机の上には古語辞典、教科書、ノート、文法書が散乱している。 古文の訳は大体出来るようになっているため、ほとんど訳は埋まっている。 ある一つを除いて。俺は頭を抱える。脳味噌から訳をひねり出そうとする。 「で、今日は古典か?」 ノートから視線を上へ上げる。 クーが前かがみになり、机の上をのぞき見ていた。俺は頭をかく。 「そうなんだよ。今度は和歌がうまくいかねーんだ。」 教科書を開き、問題の箇所を指差す。 むかし、おとこ、大和にある女を見て、よばひてあひにけり。さて、ほど経て、宮仕へする人なりければ、帰りくる道に、 三月ばかりに、かえでのもみぢのいとおもしろきを折りて、女のもとに道よりいひやる。 君がため たおれる枝は 春ながら かくこそ秋の もみぢしにけれ とてやりたりければ、返事は京に来着きてなむ持てきたりける。 いつの間に うつろふ色の つきぬらむ 君が里には 春なかるらし 「ふむ、伊勢物語の二十段か。」 「そーそー。和歌の直訳は出来るんだが、意味がよくわかんねーんだ。」 ふぅー、とため息をつく。鉛筆を置き、肩をすくめた。 クーは思考中。誰が呼びかけても答えないほどに集中している。 目の前で手を振ってみる。反応しない。思考の海を漂っているのだろうか。 解釈が頭に浮かんだようで、クーは俺の横へ回り込む。肩を密着させ、ノートを指差しながら説明を始めた。 「まず、1つ目の和歌の『枝』は、『楓のもみぢ』だな。」 「あぁ、それは分かる。訳が『君のために折った楓の枝は、春であるのにこのように秋の紅葉のように色づいているよ』ってことだろ。」 「その通り。で、和歌に詠み込まれる『秋』にはもうひとつ、隠された意味がある。分かるか?」 俺は頭をとんとん、と叩く。思い出そうとするときにいつもやる癖だ。 数分間、黙り込む。クーは横目で俺をずっと見ていた。 「掛詞で、『飽き』か。」 「正解だ。そして、次の歌。これは『返歌』だから、一つ目の歌の内容を受けてる事になる。」 「訳は『いつの間に楓の枝は色あせてしまったのでしょうか。貴方の里には春がないのでしょう。』でいいのか?」 「正解だ。」 そこで、クーは指をある単語に這わせた。2つ目の和歌の、『うつろふ』で指が止まる。 「この『うつろふ』という単語には『色あせる』という意味があるが、もうひとつ意味があるんだ。」 言葉に反応し、俺はノートをめくりはじめる。ペラペラ、とめくる音が人の少ない教室に響く。 開いたページには、蜻蛉日記「うつろひたる菊」の訳が書かれていた。 俺はその一文一文を確認していく。藤原道綱母が、色あせた菊を手紙に添えるシーンがあった。 その「色あせた菊」の横に、赤ペンで「気持ちの移り変わりを示す」と書かれていた。 「そうか、『心変わり』の意味か。」 手をぽん、と叩く。だんだんと、記憶のピースが埋まっていく。 クーは頷き、ノートをもとの伊勢物語のページに戻しながら言う。 「つまり、2つ目の歌には『心変わりを疑う意図』が含まれている。『貴方の里は秋ばかりなのですね。心変わりしたのですか?』といった主旨だ。」 「なるほど。」 「それに、『返事は京に来着きてなむ持て来たりける』という文から、そういった女の気持ちを推察できる。」 「ほぉー、盲点だった…。」 俺は感心の眼でクーを見る。俺の視線に気づいたクーは、俺の目を見返す。 「和歌を読み取る際には、修辞法と文脈から心情を推し量ることが大事だ。」 「なるほど。さんきゅー。」 俺はノートに訳を書き込む。クーはその様子をじっと見ていた。 書き込み終わり、俺は勉強道具を鞄にしまう。しゃがんで、一つづつしまってく。 「やはり、不安なんだ。」 横に立っていたクーが呟いた。クーを見上げる。 「ん?」 「少しの挙動でも、自分を好いてないんじゃないか、っていう不安だ。」 「それがどうかしたのか?」 「伊勢の彼女も、私も、似たような思いに駆られるんだ。」 俺は押し黙る。いつも、そんな弱気なことを言うような奴じゃないのは、よく知っていた。 そんなクーが、不安だと言った。真剣に耳を傾ける。 「たまに君は、他の女子と楽しそうに話をすることがあるな。」 「あぁ、そうだな。」 「そんな時、私は思うんだ。『もしかして、あの女子に気があるんじゃないか?』って。」 「…。」 何を言おうか、迷っていた。何も言えず、黙っていた。 そんな俺を見たクーは、力のないかすかな笑みを俺に向けた。 「ばかばかしいのは分かってる。でも、どうしようもなく不安なんだ。」 クーは頭を伏せた。俺は立ち上がり、クーの肩に手を置いた。 口がうまく動かない。緊張のせいだろうか、どうしてもどもってしまう。それでも、出来る限り真剣な声を出す。 「俺が好きなのは、クーだけだ。」 顔を上げ、口元をわずかにゆがめるクー。 「たまには演技してよかった。」 「…はい?」 「君の気持ちを試したのだ。悪かったな。」 俺はがっくりと肩を落とす。 「…俺のちょっとの勇気と心配は無駄になったのか…」 「いや、私の胸に響いた。ではさっそく、私の家に行こう。」 「は!?」 「このトキメキに加えて、君の暖かさを感じたいんだ。」 「ちょっ!?だ、誰かたすっ、な、やめ、こ、凍ってる!いたいっ!!」
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